中尾彬さんが逝去されました。
ご冥福をお祈りするとともに、あらためて池波志乃さんとの出会いや話題になった終活について調査してみました。
中尾彬と池波志乃の馴れ初めやきっかけは越乃寒梅というお酒(日本酒)
- 40年以上前、時代劇の撮影で共演中、ロケバス内で中尾彬さんが越乃寒梅の日本酒を手に入れて飲んだことを自慢
- 池波志乃さんは毎晩越乃寒梅を飲んでいるとお返し
- 池波さんが台本の裏に越乃寒梅が飲めるお店の地図を描き、もし迷ったら連絡を取れるように電話番号も書いて渡した
- 中尾さんが地図を頼りに店を訪れるが、たどりつけず、池波さんに電話し、翌週一緒に訪れることになった
- その後、池波さんが神田の芸者のいる店に連れて行き、飲みながらお互いのことを知る
- 飲み会で池波さんが中尾さんについて芸者たちに品定めをさせ、良い評価を得て付き合うことになった
池波志乃さんが毎日お酒(越乃寒梅)を飲めた理由
池波志乃さんが毎日お酒を飲めた理由は、彼女が落語家一家の出身であり、酒好きの家庭環境に育ったためです。
父は10代目金原亭馬生、祖父は5代目古今亭志ん生、叔父は3代目古今亭志ん朝と、家族全員が酒を嗜む文化に浸かっていました。
また、知り合いの芸者が多く、彼らを通じて入手困難な酒も手に入りやすかったことが背景にあります。
特に越乃寒梅は、知り合いの店に置いてあり、いつでも飲むことができたのです。
越乃寒梅とはどんなお酒
越乃寒梅とは石本酒造が作る日本酒。
石本酒造が位置するのは、新潟県新潟市江南区の北東、大江山地域です。
越乃寒梅の味
上品で穏やかな香りの印象、カリンや黄桃、バナナクリームのような果実の香りに、スイカズラの花の香り、これら華やかな印象を与える香りを包み込むように、上新粉のような米由来の香りやフレッシュミルク、アーモンドミルクなどの香りを感じる。
越乃寒梅の飲み方は?
香り・味ともに軽やかな特徴を持つ酵母と、酒造好適米のみで醸される軽快でスッキリした味が特徴の吟醸酒。
「淡麗辛口」と呼ぶにふさわしく、「常温」や「冷や」で飲むと爽やか。
「ぬる燗」では味の幅の拡がりが楽しめるそうです。
中尾彬さんと池波志乃さんの出会いは
2人の出会いは、1977年10月13日〜1978年5月11日まで放送された、時代劇『達磨大助事件帳』での共演。
2回目のデートでプロポーズ、3ヶ月のスピード婚
”お酒好き”という共通点から仲が深まり、2回目のデートで中尾彬さんが結婚を申し込み。
そして1978年3月14日に結婚。
出会ってからわずか3ヶ月という、異例のスピード婚だったそうです!
略奪愛の話はデマ
当時、中尾彬さんはモテモテだったそうで、前妻との離婚から日も浅かったため、略奪愛ではないかとのデマが出てしまったそうです。
ところが実際には
- 中尾彬さんは1975年に元妻の茅島成美さんと離婚しており、池波志乃さんと関係が始まった時点で独身
- 中尾彬さんと池波志乃さんの出会いは、テレビ番組「達磨大助事件帳」での共演で、自然な出会いだった
- 中尾彬さんがロケバスで越乃寒梅の話を持ちかけ、二人は共通の酒好きを通じて親しくなった
- 池波志乃さんと中尾彬さんが仲良くなったきっかけは、お酒
- 二人が結婚したのは出会ってから3ヶ月後
中尾彬と池波志乃の終活とは
中尾彬さんと池波志乃さんの終活はどんな雰囲気で進められたのでしょうか?
- 終活の開始: 二人は「終活」を自然に始めており、病気を経験したことが大きなきっかけとなった
- 具体的な活動: 「不動産売却」「お墓を作る」「遺言状作成」「いらないモノを捨てる」などの具体的な活動を進めた
- 本の反響: 著書『終活夫婦』は、多くの中高年世代に影響を与え、「終活」を始めるきっかけとなっている
- 楽しいやり取り: 終活はマニュアルではなく、夫婦の楽しいやり取りを通じて進めた
- 互いの健康: 病気を乗り越えて健康を取り戻したタイミングで終活を本格化させた
- 処分の工夫: 処分は必要なものを見極めて行い、不用品を手放すことで心地よさを感じるようにした
- コミュニケーション: 普段からの会話が重要で、タイミングや言い方に工夫を凝らして進めた
- 親への終活: 親に対しては自分たちの経験を手本として見せることで理解を促す
中尾彬と池波志乃の具体的に行った終活とは
- 不動産売却: 千葉のアトリエと沖縄のマンションを処分
- お墓を作る: 自分たちのためのお墓を準備
- 遺言状作成: 遺言状を作成し、財産や遺品の処分を明確にした
- 不用品の処分: 長年の収集品や不用品を整理して処分
- 本: 大量の専門書や思い入れのある本を価値のわかる人に引き取ってもらった
- 写真: 重要な写真を残し、大量の写真を処分
- 手紙: 大切な手紙を数通残し、他の手紙を処分
- 趣味の整理: 中尾さんのねじねじ(捻じり紐)を200本まで減らし、必要なものだけを残した
- 生活の見直し: 日常生活の中で必要なものと不要なものを見極め、生活をシンプルにする努力を継続
中尾彬と池波志乃の馴れ初めやきっかけと終活|まとめ
まとめが長くなってしまいましたが、もう一度確認できるようにしています。
中尾彬と池波志乃の馴れ初めやきっかけ
- 出会いは1977年の時代劇『達磨大助事件帳』での共演
- ロケバス内で中尾彬さんが越乃寒梅の日本酒を自慢
- 池波志乃さんが毎晩越乃寒梅を飲んでいると返答
- 池波さんが台本の裏に越乃寒梅が飲める店の地図と電話番号を描いて渡した
- 中尾さんが地図を頼りに店を訪れるがたどりつけず、池波さんに電話
- 池波さんと翌週一緒に店を訪れることに
- 池波さんが神田の芸者のいる店に連れて行き、お互いのことを知る
- 飲み会で池波さんが芸者たちに中尾さんを品定めさせ、良い評価を得る
- 2回目のデートで中尾さんがプロポーズし、3ヶ月のスピード婚
- 略奪愛のデマがあったが、実際には自然な出会いで中尾さんは独身だった
中尾彬と池波志乃の終活
- 終活のきっかけは病気の経験
- 「不動産売却」「お墓を作る」「遺言状作成」「いらないモノを捨てる」などの具体的な活動
- 著書『終活夫婦』が多くの中高年世代に影響を与えた
- 終活は夫婦の楽しいやり取りを通じて進めた
- 互いの健康を取り戻したタイミングで終活を本格化
- 普段からの会話が重要で、親に対しても経験を手本として理解を促した
具体的な終活の活動
- 千葉のアトリエと沖縄のマンションを処分
- 自分たちのためのお墓を準備
- 遺言状を作成し、財産や遺品の処分を明確に
- 長年の収集品や不用品を整理して処分
- 専門書や思い入れのある本を価値のわかる人に引き取ってもらう
- 重要な写真を残し、大量の写真を処分
- 大切な手紙を数通残し、他の手紙を処分
- 中尾さんのねじねじ(捻じり紐)を200本まで減らし必要なものだけを残す
- 日常生活の中で必要なものと不要なものを見極め生活をシンプルにする努力を継続